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毘沙門堂の縁起

毘沙門堂の縁起

毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹である。
ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。

創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法のひとつとして当門跡だけに伝わる秘法である。

 

ご本尊の毘沙門天は、天台宗の宗祖で比叡山を開かれた伝教大師のご自作で、延暦寺根本中堂のご本尊薬師如来の余材をもって刻まれたと伝えられる。商売繁盛・家内安全にご利益があり、一月初寅参りには福笹が授与され善男善女で賑わう。

境内の諸堂は近世の門跡寺院特有の景観を伝える貴重な遺構であり、その多くが京都市の有形文化財に指定されている。山科盆地を見おろす山腹に位置し、春の桜、秋の紅葉は知る人ぞ知る京の名所でもある。

 

毘沙門堂略年表

延暦七年(789) 伝教大師中堂本尊自刻
延暦十三年(794) 平安遷都。根本中堂落慶
延暦十四年(795) 桓武天皇出雲寺に行幸。伝教大師自刻の毘沙門天を天皇に奉献する
延暦二十四年(805) 鎮将夜叉大法葛原親王に伝授
 平治元年(1159) 平治の乱で堂宇焼失
応保元年(1161) 北岩倉に移建
 長寛元年(1163) 堂宇焼失
 永万元年(1165) 大原来迎院境内に仮建築
建久六年(1195) 塔ノ垣旧出雲寺の地に建立
応仁元年(1467) 応仁ノ乱で焼失
文明元年(1469) 再建
元亀二年(1571) 堂宇焼失
慶長十六年(1611) 再興勅命天海に降る
寛永二十年(1643) 天海大僧正没
寛文五年(1665) 公海大僧正によって本堂落慶
貞享三年(1686) 御所の旧殿を拝領
元禄六年(1693) 移築完了
禄高1700石拝領

 

 現在に至る